「螢/己龍」を聴いてみた!

音楽感想

試聴

いずれ通常のサブスクでも配信される……筈……

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己龍「螢」MV-SPOT

螢収録CD紹介

デジタルリリース限定。詳しくは後半のリンクへ!

螢感想

イントロを聴いた時に感じた思いはまずはとても爽やかな空が広がるような曲だと感じました。

その後に急に静かに、ピアノや鈴の音色だけになるので、そこで初めて、空から森へと、視線を落としたのだと気付きます。

“目覚めて見れば 虫の息で
命を刻む 淡く 淡く
心に何か想っても浮かんで流れて消える
まるで走馬灯のよう

目覚めぬままに息絶えれば
命を刻む 音も巡る
心に何か想っても巡り巡って行くのでしょう
私を通り過ぎて”
※己龍「螢」歌詞聴き取り(正しいものが判明次第後日修正します)

静かな雰囲気のまま始まるAメロ。

黒崎眞弥さんの美しい歌声が切なく響きます。

ライブでは、これは「私塗レ」のアンサーソングになるものだ、と語られていました。「私塗レ」を聴いて自分なりに何かを感じた人に響けば良い、というニュアンスだったような気がします。少なくとも私はそう受け取りました。

ざっくり言うと私塗レは色んな「私」を犠牲にしながら突き進んで行く私の歌だと思っているのですが、それを踏まえてこの歌詞を見てみると、犠牲にしていった「私」の想いに思いを馳せている……そんな気がしてなりません。

しかもその想いは巡り、私を通り過ぎていく……少し、置いてけぼりにされているような寂しさを感じます。もしかしたら私も、心のどこかでは一緒に行きたいと、思っているのかもしれません。

“現はただ甘い夢を垂れ流す残酷
焼かれ叫ぶ 目が眩む程の悲鳴

燃ゆる命 その痛みは
何を照らしたのでしょう
浮かび沈む 必然の性
正と不が織り成す「歪」
故に「生きた意味」に縋り
「生かされた意味」が誰かの
「生きる意味」と成り行くのでしょう
常夜に舞うは冷光”
―己龍「螢」歌詞より引用―

歌詞は「残酷」「焼かれ」「悲鳴」と悲惨な有様ですが楽曲の美しさは変わらずのBメロ。

サビもまた非常に聴きやすく美しい。徹頭徹尾美しいしか言っていない気がしますが本当に美しいのだから仕方ありません。私の語彙力の敗北です。精進します。

浮かぶものがいれば沈むものもいます。でも沈むものも確実にその命を燃やし、命の限りを尽くして叫んでいたのです。その叫びが一体何を照らし出していたのか。恐らくこれは一人一人違うものになる筈なので、曲中でも「これ」と明言されていないのだと思います。

「正と不が織り成す「歪」」という歌詞は恐らく、己龍に「」という楽曲があるのでそこにかけているような気もします。

また「生きた意味」という言葉は何だか「空蝉」という曲を連想しますね。空蝉で歌われていたのは命の限り力強く生きる意志と、「生きた証」でしたが。

「生きた意味」は過去の栄光で、「生かされた意味」は運とか、自分一人ではどうしようも出来ない範囲にあるもので、現在もそれが何なのかはわからないもの。

それが、誰かの「生きる意味」になる、という希望のある未来に向けて。

過去から未来へ、そして私の中から私ではない誰かの中へ。思いは淡い蛍の光になって巡って行く、仄かな光景を想像します。

なおこの曲は、最後このように締め括られます。

“私として私を生き
私のままに死のう
その日は刹那の果てにぽつり…
嗚呼 待惚け”
※己龍「螢」歌詞聴き取り(正しいものが判明次第後日修正します)

この締め括りを聴いて、「プライドが高く、ありのままの私である事を自分に許さなかった私が、ようやくありのままの私である事を完全に受け入れ、許す事が出来た」のかな、と思いました。

死ぬ日はまだまだ遠い先で、先に犠牲になった「私」に置いてけぼりにされて待惚けをくらっているけれど、歌が終わった後のアウトロが凄く光いっぱいで、明るいものに感じたのです。

もしも今も苦しんでいるのならあんな明るいアウトロでなく、何かこう……仄暗い感じのアウトロで終わったんじゃないかと思っています。

まだまだ発表されて間もないので聴き込みは足りませんが、人生の節目節目で聴くと、また何か感じる物が変わってくるのではないか……そう思える一曲でした。

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hotaru by KIRYU
Single • 2020 • 1 Song • 7 mins
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