試聴
収録曲紹介
絶唱
狂気と絶望が色濃く表れた一曲です。
鋭く切り込むようなイントロが一気に引き込み、サビで響く「絶唱」のデスボイスが胸を貫きます。
その響きからは、理性が崩れ落ちるような激情と、取り返しのつかない哀しみがにじみ出てきます。
狂おしくも切ないその音像は、ただ重く激しいだけでなく、美しさすら感じさせる一曲です。
手纏ノ端無キガ如シ
不倫の果てに生まれた子供が捨てられるという、救いのない情景を描いているように感じました。
捨てられたその子はやがて成長し、自分と同じように傷つき捨てられた子供の手を取って歩き出すようになります。
けれど、その行き先に「出口」と呼べるような希望は見えず、ただ苦しみの連鎖だけが繰り返されていくのだと思います。
出口とは、おそらく親の愛が満ちた当たり前の生活、無条件に受け入れられる居場所なのではないでしょうか。
しかしそのぬくもりは、この曲の中ではどこまでも遠い。
音楽的には、以前己龍チャンネルで聴いた同期音だけの音も非常に印象的でした。
旋律だけを聴くと、不思議と神秘的で美しささえ感じられ、歌詞や物語の悲哀と相まって、より深い余韻が残ります。
儚くも苦しい世界観が心に突き刺さる一曲です。
虚仮威
「良い人」であろうとする仮面を被り続けることの虚しさと、それに潜む本音の弱さを鋭く突いてきます。
〈所詮そんなモノでしょう〉と投げかけられているような気がするのです。
本音をさらけ出せず、仮面を守ることでしか生きられない人間の滑稽さや哀れさが、楽曲全体に滲んでいるような気がします。
そこには優しさではなく、少しの侮蔑や嘲笑、あるいはどこか冷たい諦めの感情さえ含まれているような気がします。
閃光
静けさのなかに妖艶な華やかさを秘めた一曲です。
まるで遊女がその短くも鮮烈な命を咲かせるように、儚くも美しい情景が浮かび上がります。
曲全体には色とりどりの世界が広がっているが、「灰」や「枯れ木」といった、鮮やかさとは対極のモチーフが巧みに織り交ぜられており、そうした鈍色の存在が逆説的に光や色の強さを際立たせているように思えます。
きらびやかな光のなかに漂う陰り、その対比でより強烈に強まる光が「閃光」の本質なのかもしれません。
命の美しさと脆さ、歓楽と孤独、華やかさと虚無。
そういった相反する要素がせめぎ合うなかで、この楽曲はひときわ強い余韻を残していきます。
視覚的なイメージと情緒が緻密に交差し、心に鮮やかな残像を刻み込む一曲です。
春
晴れやかな陽気の中に静かに狂気が潜む、独特な空気感をまとった一曲です。
軽やかで爽やかなメロディに身を委ねていると、不意に耳に飛び込んでくる「情が全て死んでくれたら」「気狂日和」といったフレーズが、その不気味さを覗かせてきます。
その瞬間、明るい日差しの中に確かな歪みが浮かび上がり、心に妙なざわめきが残ります。
穏やかな狂気と毒が共存する、己龍らしい異質な魅力がたまりません。
この、爽やかな晴天の下で静かに狂っているような世界は大好きです。
花鳥風月
初めてシングルで聴いた時、イントロに流れるストリングスの音色がどこか己龍らしくないとさえ感じていました。
しかし、何度も聴き込むうちに、その違和感が逆に魅力となり、「歪んだ花鳥風月」という世界観を描くのにこれほど相応しい音はないのではないかと思うようになりました。
伝統的な美しさに対する微かな違和や異質さが、楽曲に独特の深みを加えているのではないかと思います。
箱庭
美しく整えられた景色の裏に、狂気と孤独がじわりと滲む一曲です。
「私」の思い通りになる世界というより、他者の不在によって「私」しか存在しない閉鎖的な空間。
そこに満足するどころか、むしろ閉じ込めた側への反抗の意思すら感じられます。
もし本当に蓋を閉じたつもりなら、やがてそれをこじ開けて外の世界へ飛び出す日が来るんでしょうね。
箱庭という静かな舞台に、歪んだ感情と逸脱の予感が潜んでいるような気がします。
日輪
冒頭の邪悪な笑い声から不安感を強烈に刻みつけ、続く旋律やコーラスも心をかき乱すように響きます。
不安定に揺れる「私」の内面が、音の層とともに崩れていく様です。
特に気になるのは最後、「殺す」と書いて「あやす」と読ませる言葉です。
「あやめる」という死を連想させる読みと、「あやす」という宥め、受け入れる行為、二重の意味を感じます。
ですが、宥めるとはつまり、自身の感情を静かに殺すことなのではないか――そんな解釈が脳裏をかすめます。
言葉と音が狂気と悲哀を織り上げる一曲です。
凛
暗闇の中、地獄の業火が激しく燃え上がるような壮絶な光景を思わせる楽曲です。
時折無機質に響くビートが、まるで炎に焼かれながら狂ったように踊り乱れる人々の姿を想起させ、不安を煽ります。
その不穏なリズムの中、再び燃え盛る旋律が心を掴み、「咲け」という叫びが広がる残響となって闇に響きます。
その言葉がこだまする空間は、まるで広大な祭壇をイメージさせ、洋風に例えるならば魔女裁判の儀式めいた雰囲気を漂わせます。
炎に包まれながら咲く一瞬の命の儚さと、宿命的な狂気が交錯する、己龍らしい耽美で凶烈な世界観が展開される一曲。
私塗レ
無機質で冷たく響くイントロが印象的で、和風色の強いこれまでの楽曲とは一線を画します。
シングルのパッケージやPVに漂う蒼のイメージも相まって、今アルバムにある全体的な「赤」の空気に異質な冷気を塗り重ねるような楽曲です。
苦悩や狂気を抱えた「私」が、それぞれの曲から集まり、この楽曲でひとつの姿を結んでいるようにも思えます。
痛み、叫び、迷い……そのすべてが冷たい音像の中に重ねられていくようです。
この曲もだいぶイントロの印象が己龍っぽく、和風っぽくないなぁ……と感じていました。
曼珠沙華
Aメロの旋律が胸騒ぎを誘うような不穏さを湛え、物語の奥へと引き込んでいきます。
サビでは咲き誇る華のような華麗さが広がる一方で、その美しさには明確な毒気が漂っており、歌詞にある「依存」という言葉がその正体を示唆している気がします。
互いに縛り合い、離れられないまま腐食していく共依存のような関係性が浮かび上がり、気づけばもう戻れない場所に足を踏み入れている――そんな感覚を残す一曲です。
鵺
華やかさをまといながらも、激しく暴れるようなエネルギーを秘めた一曲です。
特に〈気が狂れる〉という言葉の直後に展開されるギターの掛け合いと同期音には、深い衝撃を受けます。
まるで暗い穴の奥底に突き落とされるような感覚――静寂と混沌が交錯するその瞬間に、楽曲の核心が現れます。
煌びやかでありながら底知れぬ狂気を孕むこの曲は、己龍の音世界の幅と深さを感じさせる強烈な存在感を放っています。
残穢
聴いているだけで身体が自然と動き出すような爆発力のある一曲。
サビに向かって盛り上がるというより、冒頭からラストまで勢いのある2パートが交互に畳み掛けてくる構成で、これはもうサークルモッシュ必至の楽曲です。
コロナ禍でなければ、ライブ会場がひとつの渦になる光景が目に浮かびます。
螢
壮大な空に広がるようなギターの旋律から始まり、その音色の中に、ふわりと宙を舞う蛍の光が浮かぶような幻想的なイントロが印象的です。
「私塗レ」で描かれた“私”たちの犠牲の連なり――そのひとつひとつが小さな蛍の光となり、最後に残った「私」を仄かに照らしているようにも感じられます。
数多の苦しみや狂気を経て、この楽曲の光景に辿り着き、「私」は初めてその歩みを見つめ直し、新たな決意を胸に抱いたのではないでしょうか。
蛍たちを見送り、最期には笑って死ねるように――そんな希望を静かに語りかけてくれます。
「螢」は、アルバム『曼珠沙華』の旅路を締めくくるにふさわしい、救いと余韻の一曲であると言えるでしょう。
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